元鷹エース・武田翔太の挑戦(第3回)「楽しいと思えているうちは野球を続けます」 見つめる“その先”の野球人生
武田が去った古巣のマウンドでは今、ドラフト1位の後輩である21歳の左腕・前田悠伍が、開幕11連勝という驚異的な快進撃で次世代のエースへと駆け上がっている。
残酷なまでの世代交代のコントラスト。否応なしにプロ世界の冷徹な現実を突きつけられるが、武田に過度な気負いはない。
「いまは赴くままに、ですよ」
元鷹エース・武田翔太の挑戦(第1回)「戦力外」から韓国へ渡った33歳 異国の地でもがく“再起への道”
そもそもの苦闘の原因は度重なる右肘手術の履歴にある。まずは6年前に行ったネズミ(遊離軟骨)のドリリング手術。骨に穴をあけて軟骨の再生を促すという処置をした。患部に及ぼした負担は大きく、2年前の4月にはトミー・ジョン(じん帯再建)手術を受けている。
「1回目の手術の時の方が今回のトミー・ジョン手術より変化したなと感じた。あのときは腕が違うな、という感覚。自分の腕じゃなくなった。思ったように体が動かない感覚が今も続いている。先発で投げると、どうしても途中で球速が落ちてしまう」
現在はまだ術後2年目。おそらく腕の状態は万全ではないはずだ。デリケートな部分でもあり、コンディションの波が大きい。しかし、武田はこの苦境を悲観するのではなく、球速を引き上げるための「伸び代」として冷静に取り組んでいる。
「韓国でのキャリアも、決してムダにはならないから」。もちろん、自身の置かれている立場も理解している。
「ルーキーのころは、ホークスの倉野(信次)コーチがいつもケツをたたいてくれていた。でも、33歳になったいまは、自分で自分のケツをたたくしかないですからね」
自立した1人のプロフェッショナルとして、地道に自身を追い込んでいく。その原動力は、驚くほどピュアだ。
「何歳までやるとか決めてなくって、向上心がなくなったら、それが野球をやめるとき。楽しいと思えているうちは野球を続けます。2軍では若い子が話を聞いてくるけれど、次の世代が育ち、それを喜ぶような感覚が出てきたら、やめようと思う。今はまだ、一緒に悩んで考えられるレベルまで。自分も苦労しているし、そこは自信がある。いつか来るセカンドキャリアも楽しみにしているけれど、やっぱり自分は野球から離れることはしないと思う」
こうしたディープな野球談義が一段落すると、インタビューの終盤は彼らしい好奇心旺盛な雑談へとどんどん脱線した。元来、何にでも研究熱心な武田の感性はいまや韓国の言語や食文化にも向いている。
韓国語に食事、メキシコの元同僚 異国で広がる好奇心
「韓国語って面白いんですよ」
カタカナ表記ではすべて同じ「パン」に聞こえる音が、発音のわずかな違いによって「ご飯」「パン」「夜」「栗」と意味を変えるのだという。
「日本(イルボン)と一番(イルバン)の発音もすごく似ていて、ほぼ一緒に聞こえる」と何やら楽しそうだ。
食事も気に入っており、好きな韓国料理はチュクミ(イイダコ)の辛い炒め物や、ナッコプセ(タコとホルモンとエビの辛炒め鍋)だそうだ。
「ご飯が美味しいのは助かります。タコばっかり食べてますよ」
メキシコでプレーし、現在はオイシックス新潟に所属する元同僚の又吉とはコンスタントに連絡を取り合っているとのことで「野球以外のヤバい話がおもしろい。日本じゃあり得ないことばかり」と明かしてくれた。同じようにもがく仲間の存在も、心地よい刺激になっているのだろう。

10代のころから冷静で大人びていた武田。「やり残したことは?」と聞くと「セカンドキャリアはいま以上に楽しみ」と、はぐらかす。しかし、こうも続けた。
「韓国で野球ができているのは大きいです。世界の野球を知れて、あとはアメリカだけ。行かないといけないね?って言われますけど、そうですね、こっそりと、ね。子どもたちのためにも頑張らないといけないし、応援してくれる人がいれば最後まで頑張るつもり。温かく見守ってほしいです」
これが締めの言葉と思ったところ、武田が今後の人生の展望についてポツリと教えてくれた。
「運勢は再来年に大きく変わる」 これからの野球人生は…
「算命学によると、僕の運勢は再来年に大きく変わるらしいんですよ」
「算命学?」と驚く私に「いろいろあるんですよ」と彼はいたずらっぽく笑うと、再び話を広げた。韓国に来て感じたのは仲間意識の強さとのことで日本と同じ感覚で自虐ネタを振ると、チームメートは本気で心配してくれるという。
例えば「ホームランを打たれちゃったよ」と武田が嘆き気味に話すと、チームメートたちは「大丈夫。さっきのは風が強かったからだ」と、全力で慰めてくれるのだそうだ。
その温かさに感謝しつつも、どこか不満。そんなとき脳裏には、かつてソフトバンク時代に苦楽をともにした斉藤和巳コーチの顔が浮かぶ。もし、同じように弱音を吐いたらどう切り返してくるだろうか。
「タケ、お前のボールがピンポン球みたいに飛んでいったな!」。きっとそんな愛のある一喝が飛んできたはずだ。そんなふたつの野球文化の違いを思い出しながら、彼はまた楽しそうに笑っていた。
そんな愛すべき男、武田翔太の進む道は、一体どこにつながっているのだろうか。NPBへの復帰か、それとも――。
未来は誰にも分からない。しかし、ルーキーイヤーの衝撃と、その後の輝きを知る者として、彼の物語に第2章、第3章があることを信じ、願わずにはいられない。
ジャスト1時間のインタビュー。名残惜しい時間は一瞬で過ぎ、別れの時が来た。記念にサインボールをいただき、メーン球場のテラス席から立ち上がった彼に、私は最後にこう声を掛けた。
「次はアメリカで会いましょう。ロスあたりで」
すると武田は、あのいつもの人懐っこい笑顔を浮かべ、軽くうなずいた。算命学なるものによると運命が変わるのは28年。そのとき彼は35歳になっているのか。そう、口ずさみ、ふと見上げたイチョンの青空は、カリフォルニアにつながっているように思えた。
文/山本智行 内外タイムス編集部







