【演芸諸行無常】「来福レーベル」が売れなくても落語CDを出し続ける理由 「一期一会の芸」で浸る非日常空間
落語のCDサンプル版が先ごろ、原稿書きのために借りている真夏の西日が強烈な束となって差し込む、それでも居心地のいい小部屋に届いた。
ソニー・ミュージックレーベルズのレガシープラス「来福レーベル」で7月15日にリリースされた2枚組、「朝日名人会ライヴシリーズ144/柳亭市馬9」。落語協会(林家正蔵会長)の先々代会長である柳亭市馬師匠の9枚目のCDになる。
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音楽レーベルや出版社がこぞって演芸CDをリリースしていた前世紀90年代は演芸CDのまさに全盛期で、毎月数多くのCDのサンプル版が届いたものだ。それらは今でも私の書庫で陣を構えている。
「久しぶりですよね」と旧知の「来福レーベル」の吉岡勉さんに電話をかけると「約1年半ぶりですね。一昨年に(柳家)さん喬、(五街道)雲助、(柳家)権太楼CDを3タイトル同時発売して以来ですから」
ご案内の通り、CDが以前ほど売れない時代になって久しい。かつて演芸CDを手掛けていた多くの音楽メーカーも採算の荒波に抗えず、いつの間にか手を引いた。
「1000枚売れるかどうか」(関係者)という演芸CDのマーケット。手を引きたい経営判断は分かる。にもかかわらず「来福レーベル」は出し続けている。その理由の端々に感じるのは、「来福レーベル」の持つ「後世に残す仕事をやっている」(吉岡さん)という矜持(きょうじ)だ。
朝日名人会は1999年にスタートした定例の落語会で、「録音を前提にしている会で、演者さんも他の会とはちょっと違う気持ちのスイッチを入れてやられている」(吉岡さん)。これまで高座にかけられたすべての演目は録音されストックされているという。その中から厳選された1席が、今回のようにCDとなり落語ファンに届けられる。
映像より音声メディアの方が適している落語
落語は、一期一会の芸とよく言われる。寄席や落語会の会場に足を運んだ人だけが、その日の芸に出会えるという至福。その場ですべて消え失せてしまう。映画のように再現性はないため、もう一度きょうの芸を味わいたいと思っても、なかなかかなわない。
CDはそれを可能にしてくれる。DVDや動画がエンタメ業界で幅を利かせる時代だが、吉岡さんは「落語は想像させてなんぼの芸なので、映像メディアより音声メディアの方が適している」と、CDの有用性を訴える。
ソニー・レコードはかつて、名人三遊亭円生や古今亭志ん朝のCDを手掛けた。今も落語ファンがいにしえの円生や志ん朝の名演に触れることができるのは、ソニー・レコードが何十年か後の聞き手に残してくれた、この上ないご褒美であり演芸遺産なのだ。それを私は、ありがたく享受している。
目を閉じて脳内スクリーンに集中する至福
落語のCDを聞くことは、非日常そのものである。今回のCDに収められているのはディスク1が「三軒長屋(全)」で約60分、ディスク2が「佃祭」と「阿武松」で約80分。TikTokやヤフーのショート動画、倍速エンタメに慣れた人には、少しばかり長いと感じるかもしれない。それをあべこべにとらえ、非日常空間に浸る、としゃれこむのだ。
テレビ用のDVD装置にCDをセットし、スマホを遠ざけ、ビールを飲みながら、耳だけを傾ける。耳以外の“四感”はいらない。目を閉じて、全集中で言葉を受け止め、脳内スクリーンに場面場面を屹立(きつりつ)させていく。
想像力豊かな人には大スペクタクルになり、想像力が乏しい人には案外小ぶりな作品になるかもしれない、という想像力のたまもの。動画と違い、個々人の受信能力が試されるのが落語というエンタメなのである。
「映像が入ると想像の足かせになる」という吉岡さんの言葉をかみ締めながら、脳内で自分だけの動画を生成できる喜びを、落語のCDを久しぶりに聞きながら再確認する。
落語のCDを聞くことは何周回っても新鮮で刺激的だということを、真夏の西日が強烈な束になって差し込む小部屋でも味わうことができた。
文/渡邉寧久 内外タイムス






