高市首相、石油の安定供給示す 過去のオイルショックの教訓がもたらした日本人の「省エネ観」
高市早苗首相は11日、7月の原油調達について前年実績の約10割を確保できるめどが立ったと明らかにした。ホルムズ海峡を経由せずに「全量調達できるようになった」と強調し、2028年3月末まで石油の安定供給が可能になったと示した。
このたびの中東情勢により、日本への影響は図り知れず“オイルショック”の再来ともいわれ、まだまだ油断が許さぬ状況の中で、国民の不安は払拭されぬままである。
高度経済成長のピークにあった1960年代から70年代初頭にかけて、日本はGNPで西ドイツを抜き、世界第2位の経済規模へと発展。家庭には“3C(カラーテレビ・クーラー・自家用車)”が普及し、1970年開催の大阪万博には6400万人が押し寄せるなど、社会は未来志向の熱気に包まれていた。
これらの繁栄を支えたのが、まぎれもなく石油である。国内エネルギーの主力は石炭から石油へと移行し、1973年には日本の一次エネルギー消費の4分の3以上を石油が占めるまでになった。
当時の原油は、1バレル2ドル前後という低価格で、発電・工業・輸送と用途が広く経済を一気に拡大させ、輸入の約8割を中東に依存する構造ができあがった。
ところが1973年10月、第四次中東戦争が勃発し、米国が即座にイスラエル支援を打ち出すと、アラブ産油国は資源を“武器”に転じたのだ。ペルシャ湾岸の主要産油国は原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ引き上げ、OAPECは“対イスラエル支援国”への供給削減を決定。
米国とオランダには禁輸、日本も当初は「非友好国」扱いを受け、原油価格はわずか2か月で4倍近く高騰した。
トイレットペーパーの買い占め騒動
その混乱の象徴となったのが第一次オイルショックの“トイレットペーパー騒動”だ。同月下旬から翌月にかけ、全国の店頭から紙製品が消える事態となった。原料パルプは国内調達が可能で石油と直結しないにもかかわらず、買いだめが連鎖。
政府やメーカーの「在庫は十分」という呼びかけも不信感でかき消され、パニックが続いた。さらに、ガソリンの高騰や電気やガスのエネルギー関係が軒並み上昇し、生活必需品にわたる広範囲に値上がりした。
だが、この危機が日本を“省エネルギー立国”へと方向転換させ、1973年末の「石油消費節減運動」を皮切りに、社会ぐるみの節電・省エネが展開。国民意識に“省エネ”観が根付き、「省エネ」は日本製の競争力そのものとなった。
そして、1979年の第二次オイルショックでは需給管理と省エネの定着により、第一次のような混乱は回避された。そして、今年に入り“第三次オイルショック”が到来。国内外で「ナフサ」が不足し、混乱に陥っている。
戦争はわれわれの生活にも大きく影響するもの。一日も早く、安定した生活を望むばかりである。


