腹話術で被爆体験を語る小谷さん =6日、宮古島カルディア

小谷さん「原爆風化させない」 被爆証言会 腹話術で語り継ぐ

 広島で被爆し、腹話術で被爆体験の話をしている小谷孝子さんらによる「被爆証言会」が6日、市内2カ所で開かれた。当時3歳の弟が亡くなり、小学校6年時に母を原爆症による白血病で亡くした小谷さんは、原子爆弾で火の海となり全身火傷を負った人たちについて話した。国内外で証言活動しており、「(被爆で後遺症を負った)姉に多くの無念な死を無駄にしないように語っていくのがあなたの使命と背中を押された。これからも命のある限り語っていきたい」と訴えた。
 「被爆証言会」は城辺比嘉の宮古島カルディアと平良港ターミナルビルで昼と夕にそれぞれ開かれ、そのうち宮古島カルディアでは午後2時半から始まった。
 6歳で被爆したという小谷さんは1945年8月6日朝、広島に原子爆弾が落とされた当時について振り返った。「台所で水を飲んでいた時にガラス窓がピカーっと光り、ドーンとものすごい音で家が壊れた。幸いなことに倒れた柱と壁の隙間にいてかすり傷で助かった」と振り返った。兄や姉は全身火傷を負い、3歳の弟は爆風で吹き飛ばされて翌日に亡くなったという。
 これらの体験から原爆は思い出したくないと思っていた小谷さんだが、「腹話術を習った人が『原爆を風化させないためにも語っていきなさない。つらいと思うけど亡くなった弟に今の平和を見せてあげて下さい』と言われた」と語った。
 その後、姉にも背中を押され「(弟の)あんちゃん」と一緒に証言活動を行っているという。
 また、樋口恵子さんは、長崎で被爆した母の体験を語った。同年8月9日に原子爆弾が落とされた時の様子については「突然光が目の前を走ったかと思った途端に気を失った。気が付いた時には割れた天井や柱の下敷きになり、街はメラメラと燃え上がり、火の海だったそうです」と話した。
 そして「『人間が人間でなくなる、人が人として生きられなくなるのが戦争だ』と母は言います。戦争ほど悲しく、残酷で無意味なものはありません。暴力によって人の物を奪うことはけっして許されることではありません」とも語り、戦争の非人間性を強調した。
 また、2人の講話の前には、ピースボートで世界の国々を巡り核廃絶を訴える活動を展開する渡辺里香さんが広島、長崎にどんな原子爆弾が落とされたのかを説明し、沖縄戦とは違う形の戦争の被害も話した。

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