台風「マエミー」災害から学ぶ 電柱倒壊から地中化を強調
2003年9月に宮古島地方に大きな被害を与えた台風14号(マエミー)から20年にあたり、「過去の災害から学ぶ」と題したパネルディスカッションが25日午後2時から市未来創造センター多目的ホールで行われた。気象台、報道、県・市行政、消防の4者がそれぞれの立場から当時の状況や対応を語った。今後にむけ、マエミークラスの台風への備えとして関係機関の連携、体制や迅速な対応には電柱の倒壊を教訓として電線地中化を急ぐべきことが強調された。
パネリストは棚原聡氏(宮古島地方気象台元次長)、奥濱真一郎氏(宮古テレビ報道部長)、古謝博由氏(宮古島市消防本部次長兼消防署長)、長濱政治氏(元県宮古支庁長・元宮古島市副市長)で、県宮古事務所長の長濱為一氏がコーディネーターを務めた。
棚原氏は「台風14号は宮古島を直撃して通過したが、最低気圧が1日で30ヘクトパスカルも下がるなど長時間にわたり猛烈な風が吹いた」と振り返った。最大瞬間風速は74・1㍍を記録し、電柱倒壊が800本以上、人的被害は97人、住宅や公共施設など被害総額は131億円に達したと説明。1960年代に大きな被害を与えた「サラ」「コラ」「デラ」の宮古島台風も説明し、「これらの台風に匹敵するほど大きな台風だった」と語った。
奥濱氏は、台風情報を伝え続けたことや暴風警報が出ると24時間体制で放送したことを説明。「台風が直撃する前夜は、ものすごい風で建物が揺れたので何事かと思った。翌朝になると電柱が倒れるなど大きな被害が出ていた」と振り返った。
マエミークラスの対応については「(報道部の)記者は台風情報がある場合は自宅にカメラを持ち帰り、近くを撮影するなどの対応が必要」と話した。また「20年前と比較し、情報に関わるものはインターネット、携帯で見ることができる。多くの情報から必要なものを分析して活用すべき」と強調した。
古謝氏は「これまでに経験したことのない最大級の台風が襲来する可能性があり、厳重な警戒を行うように」との連絡を受け、市民への広報や資器材の確認を行ったことなどを話した。
台風直撃で次々と入る「119番」救急・救助要請の当時の入電状況を聞かせ、建物被害などで命の危機を感じた住民の救助要請への対応を説明。現場に入った署員から聞いたとして「平良と城辺を結ぶ県道では電柱が倒れて救急車などの車両が通行できなかった。迂(う)回したことにより通常10分が30分から40分もかかった。これらの被害を教訓に台風災害に備えたい」と話した。
長濱政治氏は医療救護本部の設置、病院の受け入れ体制や防災無線による注意喚起、学校の臨時休校などの対応を説明。情報収集と市民への情報提供では「情報が麻痺していたら対策が取れない。万全な体制で臨まないといけないと感じた」と語った。
また「2003年から2年後に市町村が合併した。08年には宮古支庁が宮古事務所となり、(市と県合わせて)台風災害時に対応する職員が減った。今後マエミークラスの台風が来たときに気になるのが、しっかりとした体制がとれるかどうか」と述べた。
今後に向けては「電柱が倒れると停電が発生し、車両が通れなくなるので早急に電線地中化を進めるべき」と強調した。