慰霊祭が執り行われ冥福を祈った =25日、第3龍虎隊慰霊碑

神風特攻隊を追悼 慰霊碑で平和の灯ともる 第3龍虎隊慰霊祭

 沖縄県戦没者慰霊協会(友寄玲子代表理事)が、沖縄戦の神風特別攻撃隊で命を落とした若者たちを追悼する慰霊祭を市平良東仲宗根の宮古テレビ裏にある第三龍虎隊慰霊碑前で行った。同慰霊祭は戦争体験者や遺族の想いを後世に伝え、戦争の悲劇を忘れず、未来永劫にわたって平和を願うすべての人々にとって重要な意味を持つ。同慰霊碑を管理する狩俣雅夫同協会理事はその重要性を強調し、多くの人々にその歴史を知ってもらいたいと願っている。
 同協会は、県内に存在する441基の慰霊塔のうち、所有者不明や遺族の高齢化により慰霊祭が開催できない慰霊塔を代行して管理し、平和のメッセージを発信することを目的に2020年に設立。慰霊祭の開催や維持管理を支援し、その尊い犠牲と感謝を届けるべく「平和の灯(キャンドル)」をともしている。
 第三龍虎隊の慰霊祭は、終戦間際に特攻出撃した若者たちの勇気と犠牲をたたえ、その偉業を後世に伝える重要な行事となっている。
 当時10代から20歳の8人の隊員たちは1945年7月28日、台湾から石垣島、そして宮古島へと移動し、終戦間近の厳しい戦況の中で木製の練習機「赤とんぼ」で出撃。米軍駆逐艦に大損害を与えた。「赤とんぼ」は複葉の練習機で機体構造は金属製でなく木製。翼は布貼りだったという。
 同日の慰霊祭では那覇の護国神社野呂克吏宮司の祝詞奏上後、玉串奉納が行われた。野呂宮司は「世界情勢を鑑みると平和の尊さ、ありがたさが分かる。戦争で亡くなった若い人たちの慰霊碑が宮古にあることを知ってほしい」とあいさつ。「赤とんぼ」を模したキャンドルに火をともし、戦火に散った若い隊員らの冥福を祈った。
 狩俣理事が関心を寄せるようになったのは歩兵第三連隊の兵士であった父から宮古島から沖縄戦最後の特攻として飛び立った隊員らの話を聞いていたことがきっかけ。13歳の頃からさまざまな資料を調べていくうちに宮古島にこの部隊の慰霊神があるを知った。
 そこで同所を訪ねた際に目にしたのは伸び放題の草木に覆われた慰霊碑だったという。これではいけないと決意した狩俣理事は遺族らと相談し、その管理を申し出て木々の伐採、草刈り、台風時の清掃など維持管理に長年努めてきた。
 その献身的な活動は、戦争の記憶を風化させず、平和への願いを次世代に伝えるための貴重な取り組みとして評価されている。この活動への問い合わせは同協会理事の狩俣(携帯090・4470・6336)まで。

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