宮古2人に黄綬褒章
上地登さん農業に精力 マンゴ普及などに貢献
上地さんは中学生のころから農業を志したが、両親から「農業で飯は食えない」などの反対にあったという。「農業の持つ可能性を信じて頑張ったら、マンゴーに出会い『これだ』と思った」と振り返る。
受章の知らせに「過去のいろんな思いがよみがえってきて、努力を続けて良かったと思う。たくさん心配をかけた両親の仏壇に『頑張っているよ、見守ってね』と伝えたい」と話す。
上地さんの生家は9人家族で農業を営んでいたという。「現金は少なかったが、家族で一つの目標に向かって力を合わせる素敵な仕事だと幼いながらに思っていた」と農業を志した。
スイカ中心だったが、30代半ばにマンゴーを紹介されて「おいしさに驚き、農業の持つ可能性をより深く感じた」という。「マンゴーという作物に出会えて幸せ。神様から宮古島へのプレゼントだ」と語る。
これからは「自分の理想とする農業を追求したい」と目を輝かせる。「経営するための農業ではなく、コストや生産性を度外視しても、手間暇をかけて最高においしいマンゴーを作りたい」と意気軒昂だ。
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上地登(うえち・のぼる) 1957年7月12日生まれ。旧宮古農林高校、タキイ種苗附属園芸専門学校卒。2000年大嶺ファーム設立、03年に県知事から指導農業士認定。全国農業コンクール農林水産大臣表彰など受賞歴多数。
砂川徹男さん測量業務に従事 県内各地の道路、港や橋などの設計
砂川さんは「宮古に生まれて宮古で育ったからここまで来た。いつも宮古のことを思い出している」と古里への思いを語る。県内各地の道路、港や橋などの設計や測量業務に従事した思い出を振り返り、「西表島の白浜南風線の業務は20年以上関わったことから思い出深い。西表島が国立公園内であることから森林やイリオモテヤマネコの保護などに配慮したことで時間と労力を費やしたことは大変だった」と苦労を語った。
宮古関係の業務としては、平良城辺線の概略設計、高野川満線の調査測量設計、多良間港(前泊、普天間地区)の調査測量設計業務などに従事し、宮古地区のインフラ整備に尽力した。砂川さんは「少しでも古里の発展のためになればいいと思って仕事を頑張った」と振り返った。
今後の夢として「技術と経営を若者に教えていきたい。技術ができる人は多いが、経営もできる人は少ない。経営者としてもちゃんとできる人間を育てていきたい」と笑顔で話した。
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砂川徹男(すながわ・てつお)1943年8月生まれ。琉球大農家政工学部卒。ハワイ大大学院中退。69年綜合設計入社。70年国建設計工務課長、74年土質調査部次長、77年オモト建設コンサルタント専務を経て、83年沖縄建設技研を設立し、社長に。2018年会長、19年から顧問。浦添市仲間在住。