「勝利」へ最後の訴え きょう投開票あす未明に当落判明
【那覇支局】任期満了に伴う第14回県知事選は11日、投票が行われ即日開票される。新型コロナウイルス感染症の影響で疲弊した経済の回復や暮らしの立て直し、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設の賛否などを争点に、無所属新人で前衆院議員の下地幹郎氏(61)、無所属新人で前宜野湾市長の佐喜真淳氏(58)=自民、公明推薦=、「オール沖縄」の支援を受ける現職の玉城デニー氏(62)=立民、共産、社民、れいわ、社大、にぬふぁぶし推薦=が三つどもえの選挙戦を展開した。3陣営は10日、那覇市内で打ち上げ式を行い、8月25日の公示後、17日間の選挙活動を締めくくった。開票は午後9時から県内各地で行われ、12日未明に当落が判明する見通し。
選挙では、コロナ禍からの経済の回復と米軍普天間飛行場の辺野移設に加えて、離島振興、南西諸島の自衛隊のミサイル配備を含む安全保障、玉城県政に関する評価が争点になる。
下地氏は「国に頼らない沖縄」を掲げ、辺野古問題で対立する国と県の関係が各種政策に影響していると強調。普天間飛行場での訓練を馬毛島(鹿児島県)へ移転し、オスプレイを埋め立てが完了している辺野古に移駐する。普天間飛行場は空港として活用するプランを示す。教育の無償化にも取り組み、保育園から大学・専門学校まで授業料、給食費の無償化などを掲げている。離島振興では、船運賃や航空運賃の定額化を図り、観光客の誘致を進める。先島への陸自配備は国の安全保障体制に必要との認識を持っている。
佐喜真氏は「県民の命と暮らしを守る」をキャッチフレーズに政府との信頼関係を基にした経済再生を掲げ、観光産業への1000億円規模の支援など県経済の立て直しを図るとしている。県内全域に「子ども特区」を導入し、教育に係る経済負担の軽減に寄与するとしている。米軍普天間飛行場の辺野古移設には早期の危険性の除去のために「容認」の立場をとる。離島振興には不利性解消を進めるとし、経済支援を行う考えを示している。先島への陸自配備には住民の合意が必要としながらも、配備には理解を示している。
玉城氏は1期4年の実績を強調し、子どもや若者、女性への政策などを打ち出している。離島振興では、島ごとの離島力を強化し、島に合わせた6次産業化を進め、島ごとのブランド化を図るとしている。米軍普天間飛行場の辺野古移設については明確に「反対」の立場で基地負担軽減に取り組むとしている。先島への陸自配備は住民の合意形成を図る必要があるとし、ミサイル配備には計画ありきで進められていると懸念を示す。「平和で誇りある豊かさ・新時代沖縄のさらに先へ!」をスローガンに投票を訴えている。
選挙戦最終日の10日、3氏は大票田の那覇市を中心に遊説し、浮動票の積み上げに総力を挙げた。下地氏は泊交差点、佐喜真氏は県立博物館・美術館前、玉城氏は県民広場でそれぞれ打ち上げ式を実施した。3陣営とも集まった支持者とともにガンバロウ三唱し、選挙戦勝利の気勢を上げた。
11日の投票は午前7時から午後8時までで、宮古地区では一部、時間を繰り上げる投票所もある。
下地幹郎候補「全てを変え前に進める」
国の差配の下に沖縄の生活が決まる時代を終わらせなければならない。私たちが変えるべきは私たちの力。自信と誇りを持てば元気な沖縄をつくれる。沖縄が自分の力で成長を進め、進化させていく役割を幹郎にやらせてほしい。
大事なことは政治家としてプランを持っているかということ。基地の負担で26年間争ったことを終わらせる。馬毛島を政府に買い上げさせた。基地問題を解決できる提案。
50年間、進学率は沖縄が最下位だった。教育の無償化を提案し、所得環境で学校に行けないことがないよう、誰一人取り残さないことを子どたちに作る。
4年間で全てを変えて前に進める。新しい政治は国に頼らないこと、提案すること。知事になれば面白いこと、ユニークなことをやる。28年間政治をやってきたから言えること。選挙に勝つ。
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しもじ・みきお 1961年8月生まれ、宮古島市出身。中央学院大卒。会社役員を経て96年に衆院議員に初当選し、通算6期務めた。沖縄開発政務次官、経済産業大臣政務官、郵政民営化担当相を歴任した。
佐喜真淳候補「県民が喜ぶ県政運営を」
2回目の知事選になる。県政を奪還するという目標を達成できなかったあの日以来、各地でいろんな話を聞いてきた。島々のハンディを克服するための施策、予算は知事が政府に対して理路整然と確保しなければいけない。島々の暮らしと産業を守り、人々の大いなる期待と夢を確実に前進させていく決意だ。
沖縄の課題を一つひとつ解決するためには、リーダーシップと行動力と粘り強い交渉力のある県知事が必要。対立ではなく対話を通して、いかに結果を残すか。県政が対話できていれば、この4年間の間に首相と一対一で交渉し、県民に結果を示せたはずだ。期待とは裏腹に、何一つ結果が出ないのが今の県政ではないか。
私なら、対立よりも対話。県民側に立って、政府とも信頼関係を持って話し合い、県民が喜ぶ県政運営を絶対に行う。さあ、沖縄が変わる。変えなければならない。
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さきま・あつし 1964年8月生まれ。宜野湾市真志喜出身。千葉商科大卒。2001年に宜野湾市議、05年に県議会議員当選。12年の宜野湾市長選に初当選し、2期目途中の18年に県知事選に出馬、落選した。
玉城デニー候補「沖縄らしい社会を実現」
4年間、県知事として負託された責任の下、県庁の行政を動かすだけではなく、さまざまな自然の事象に対しても県庁職員と一丸になって県民の普段の生活を守り支え、それに対応する4年間だった。私はこの4年間、一つも後悔していない。一つも後悔が無いからこそ、やり残したことがある。どの施策においても私は誰一人取り残さない沖縄らしい社会を実現していきたい。そのために今回の知事選挙、もう一度皆さんの強い気持ちで、玉城デニーに任せていただけないでしょうか。ぶれない気持ちでこれからも頑張っていく。
辺野古の新基地建設は絶対にいつまでかかっても完成できる場所でも基地でも技術もない。できないものはできないときっぱりと諦めてもらう。普天間の危険性除去は県外や国外に移すことで日常を取り戻すことになる。玉城デニーは絶対にぶれない。
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たまき・でにー 1959年10月生まれ、うるま市出身。上智社会福祉専門学校卒。タレント活動を経て2002年に沖縄市議、09年から衆院議員4期。翁長雄志前知事死去に伴う18年の県知事選で初当選。