地元・福岡で「反麻生デモ」が勃発、横浜や大分でも連帯行動 メディアが報じない現場
国会前では毎週末のように「反高市」デモが行われ、全国各地でも頻繁に行われるようになっている。最近は大手メディアも積極的に報じるようになった。
しかし、高市政権の後ろ盾となっている麻生太郎副総裁への抗議デモが報道されることはほとんどない。実は、麻生氏の地元選挙区(福岡8区)の新飯塚駅前では、市民団体や有志による抗議活動(サイレントスタンディングなど)が不定期に行われている。
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直近では20日夜、「#麻生太郎いいかげんにしろスタンディング」と称した抗議行動が行われた。X(旧Twitter)によれば、約150人が参加し、最後に炭坑節で抵抗を表現。横浜や大分(別府)など各地でも連帯行動が広がり、地元住民から感謝の声も上がったという。同日のXには次のような投稿があった。
「行ってきました!1時間で先に抜けましたが、心配していたような妨害もなく。クソデカフラッグが30本、個人作成の旗やのぼりがいくつもあり、風にはためく姿は壮観かつ完全に町の異変って感じでよかった~。麻生太郎引退(隠居)してプラカたくさんあってにっこり」
「炭鉱労働について調べてると土地の人への搾取がすごすぎて、麻生は搾取だけで今も財を独り占めしてるんだと分かって申し訳なさしかなくなる。 炭坑節見て涙出た」
投稿内容を少し補足すると、麻生氏のルーツは曾祖父の麻生太吉が1872年に始めた石炭採掘事業で、これが現在の麻生グループの礎となっている。麻生氏は1973年に「麻生セメント」の社長に就任している。
麻生一族が炭鉱事業で労働者を搾取してきたとされる歴史があり、それへの反発がデモにおいて炭坑節となって表出したのである。
麻生氏は若い頃から「吉田茂の孫」が売りの政治家だが、その華やかな家系に反して、人物評にはさまざまな悪評も付きまとう。
これは、ジャーナリスト・魚住昭の著書「野中広務 差別と権力」(講談社)にあるエピソードだ。
2001年3月、当時所属していた河野グループの会合で、麻生氏は野中広務衆院議員の名前を挙げながら「あんな部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言した。
麻生事務所は「地元・福岡の炭鉱にからむ被差別部落問題についての発言が誤解されて伝わったものだ」と弁明したが、野中氏は河野グループ3人に差別発言であるとの確認を取っている。後日、自民党総務会で野中氏はその差別発言を激しく非難したところ、麻生氏はうつむいたままだったという。
2013年7月には海外からも批判される問題発言があった。国家基本問題研究所のシンポジウムで講演中、憲法改正について、騒がしい中ではなく落ち着いた環境で議論すべきだと主張する文脈で、「ドイツのワイマール憲法もいつの間にかナチス憲法に変わっていた。誰も気がつかない間に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と言い放った。
麻生氏は当初、「ナチスの手法を賛美したわけではない」と釈明していたが批判は止まず、「誤解を招く結果となったことは遺憾であり、撤回したい」と発言を撤回した。この暴言2つだけでも麻生氏の実像が十分に見えてくる。
文/横山渉 内外タイムス






