鈴木宗男インタビュー(第5回)国策捜査、437日間勾留にステージ4の胃がん
1983(昭和58)年12月の第37回衆議院選挙。鈴木宗男氏は35歳にして初当選を果たした。当選同期には伊吹文明、二階俊博、田中秀征、町村信孝、大島理森、甘利明などそうそうたる顔ぶれだ。
初当選後、自民党の中曽根康弘総裁から追加公認を受け、自民党に入党。その後、1989(平成元)年の宇野、第一次海部内閣と1993(平成5)年の宮澤改造内閣で防衛政務次官などを務めたほか、1997(平成9)年の第二次橋本改造内閣では初入閣を果たす(北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官)。国会議員として順風満帆だった鈴木氏にとって、潮目が変わるのが2001年4月26日から発足した小泉政権だった。
鈴木宗男インタビュー(第4回)劇場型政治家の片りん ~政治家・鈴木宗男誕生~ から続く。
逆風のなか、ステージ4の胃がん発見も奇跡的に回復
「自民党では官房副長官が出世コースなんです。あと総務局長、今でいう選対委員長、青年局長です。私はその2つをやるわけです。2つのうち1つやるだけでも出世コースなので、私の前途は開けてたんです。ところが小泉さんが総理大臣になってから『抵抗勢力』と言われて立場が変わる。逮捕までされる。それで最高裁まで戦ったけど、負けて現職国会議員としてバッジも取られるんですよ」
2002年に鈴木氏は計7件の汚職事件に絡み、公共事業をめぐる受託収賄や政治資金規正法違反などの罪に問われ逮捕、起訴された。しかし、この一連の事件については本人や当時、鈴木氏と共に連座する形で罪に問われた元・外務省主任分析官の佐藤優氏が「国策捜査」であったと主張し、現在にかけてもその真相は闇の中だ。
当時はポピュリズム政治の典型例とも言うべき「小泉旋風」が日本中で巻き起こり、田中真紀子氏と共に小泉政権は圧倒的な世論を味方に付けた。逆風のなか、鈴木氏が小泉・田中両氏に立ち向かっても勝ち目はなかった。
いわれのない罪を着せられるなか、2003年11月に小泉政権発足後初の衆院選が行われた。無論、鈴木氏は出馬する意向だったが、直前にがんが見つかる。胃がんだった。しかもステージ4で転移の可能性もあると医師から伝えられた。
「人生が終わったと思った。ただ、私は命をかけて選挙をしようと思った。命がなくなってもいいと思った」
盟友の松山千春氏も「宗男さんが命がけでやるというならやりましょう」と言ってくれたが、ここで出馬に猛反対したのが娘の貴子氏だった。「手術が遅れればそれだけがん細胞が増殖する。治ってからでも選挙出れるんだから今は駄目」。貴子氏の必死の説得を前に、鈴木氏は出馬を断念した。手術は無事成功し、転移は奇跡的になかった。

手術が終わって担架でICUに運ばれるとき、医師が妻に「奥さんご安心ください。転移はありませんでした」と告げた。その時、麻酔が効いて意識がもうろうとしていた鈴木氏はうわ言で「それならば選挙に出ておけばよかった」とつぶやいたという。典子夫人が鈴木氏の額をぴしゃりとたたいたという逸話を披露してくれた。
天は鈴木宗男を見捨てなかった。さらに鈴木氏に追い風となる出来事が起こる。当時、反・鈴木宗男の急先鋒だった久米宏氏のテレビ朝日系「ニュース・ステーション」が選挙開票日、入院中の鈴木氏と番組内で中継を結んだのだ。
「病院にいて白衣着て、テレビ中継に出るわけですよ。そしたら世間は『鈴木はかわいそうだ』となっていくんです」
手術の半年後には皇居一周マラソンにも参加する。これもたまたま、みのもんた氏が司会のテレビ番組で取り上げてくれて「鈴木は頑張り者だ」「めげない」「我々も見習わないといけない」との声であふれた。
「完全に流れが変わった。貴子があの時『出馬は絶対駄目だ』と言ってくれたからと思うと、本当にドラマなんです」

盟友・佐藤優氏とのエピソード

2005(平成17)年8月、松山千春氏と共に新党大地を結成し、代表に就任。当時19歳で学生だった貴子氏がマイクを持ち、「どうか父を働かせてください」と聴衆に訴えかけたシーンは多くのメディアが取り上げた。さらなる鈴木氏のイメージアップへとつながった。
鈴木氏は2010(平成22)年9月に最高裁で上告が棄却され、実刑が確定。12月6日から翌11年12月6日の1年間、収監された。東京拘置所には実に437日間勾留されたが体はびくともしなかった。これも北海道足寄の厳しい環境で育った強じんな体があるからだ。
「マイナス30度の中での生活。そして戦後、物のない貧しい時代を生きてきたからこそ。むしろ刑務所で出るご飯は私に言わせればぜいたくだった。やはり信念をもって『負けてたまるか』と思って生きる。そういう強い気持ちは北海道の自然が教えてくれたと思って感謝しています」
鈴木氏が盟友だとする元外務省主任分析官の佐藤優氏。2人が「国策捜査だ」とする一連の汚職事件について、2人のきずなを象徴するエピソードを話してくれた。それはまさに2人に検察からの捜査が及ぶ直前のころの話だ。
外務省官房長だった飯村豊氏が当時、佐藤氏にこう取り引きを持ち掛けてきたという。
「お前が一番鈴木を知っているんだから、お前が鈴木を撃て。そしたらお前はセーフだ」
しかし、佐藤氏はこの取り引きには応じず、すぐにこの件を鈴木氏に伝えた。すると鈴木氏は佐藤氏にこう告げたという。
「佐藤さん、そいつの話に乗れ。俺は生きていける。あなたはまだ20年役人生活が残ってる。あなたの知恵とその能力を日本のために生かしてくれ。まだ日本はあなたの能力が必要なんだ。だからあなたは俺を撃ってきていい。俺は何とか生きるから、あなたは国家のために尽くせ」
そう言って一晩中鈴木氏は説得したが、最後まで佐藤氏は頑なに首を縦に振らず、むしろこう返したという。
「先生、私はクリスチャンです。神様にうそはつけません。鈴木先生がそう言われても、私は先生についていきます」
この会話の一週間後、佐藤氏は逮捕される。罪状は2000年1月、当時ロシア政治に精通していたイスラエルのテルアビブ大学教授ガブリエル・ゴロデツキー夫妻を日本の学会に招待する際、渡航費用などの経費を外務省の予算から不当に支出した「背任罪」。
さらに2000年3月に国後島へのディーゼル発電機供用事業の入札に際し、鈴木氏の意向で三井物産が落札できるように違法な便宜を図ったり、外務省の業務を妨害したりしたとする「偽計業務妨害罪」だ。ちなみに両罪とも佐藤氏は全面否認している。
逮捕される直前、佐藤氏は鈴木氏に電話でこう伝えたという。
「鈴木先生、今検察官が来ました。これからしばらくは電話できません。話もできません。先生より先に捕まって、先生よりも遅く(拘置所を)出ますから、ご安心ください」
鈴木氏の勾留日数は437日、佐藤氏は512日だった。佐藤氏は最後まで否認を貫き、自身の身の潔白を訴え続けるとともに、鈴木氏や国家に不利益が及ばないようにも努めた。そして、鈴木氏に電話で伝えたことを守り抜いた。

鈴木宗男インタビュー(第6回)ロシアと知の巨人・佐藤優「人生やはり、人と縁」 に続く。
文/寉見陽平 内外タイムス
《プロフィール》
鈴木宗男(すずき・むねお)1948年北海道足寄町生まれ。拓殖大学卒。大学在学中から中川一郎議員の秘書を務め、1983年の衆院選で初当選。1997年北海道・沖縄開発庁長官で初入閣、1998年内閣官房副長官、1999年自民党総務局長などを歴任。2002年6月、あっせん収賄など計7つの汚職事件で逮捕。2005年に地域政党「新党大地」を結成。2010年9月最高裁で上告が棄却され、喜連川刑務所に収監。2019年の参院選で日本維新の会から出馬し当選(比例区)、9年ぶりに国政に復帰。2023年10月ロシアに訪問したことが問題になり離党。2025年6月自民党に復党。同年7月参院選に同党の比例代表候補として立候補し当選した。






