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沈黙の1年2カ月が暴いた「ルフィ」マネロンの深部 1億5千万円を無報酬で運んだ男の“従属と空白”【裁判傍聴記】

7日、東京地裁715号法廷。被告席には高い鼻梁、高い眉、澄んだ目元等造形が整った男がいる。小柄ながらがっちりとした体躯は鉄紺のスーツ姿に白シャツをまとい、神妙な表情を作りこんでいる。男がじっとまっすぐ見る先には、法廷担当の検察官が3名。ともに特殊詐欺を担当する中堅の脂ののった彫の深い顔の検事たちだが、その目線を気にする様子はない。60人近くの容積を誇る傍聴席は8割方が埋まり、司法記者席は設置されていない。

2026年上半期、犯罪率は増加傾向に 在宅高齢者を狙った特殊詐欺も

本件は、世間を震撼させる広域連続強盗、いわゆる《ルフィ事件》の被害金をマネーロンダリングした犯罪組織の幹部ら男女3人が逮捕された事件に連なる公判である。逮捕報道によれば、詐取された現金は暗号資産に換えられてセーシェル等海外を経由し、福井かおりの手で再度現金化された後、本件被告である相田栄幸を経由して、グループ幹部の樋口拓也宅に搬送されていたとされる。目の前の被告席に座る男がのちに語る《無償の行為》は、その深部を示していた。

1年2カ月の長期勾留が産み落とした男の告白

昨年の4月21日から今年の7月まで、1年2カ月という気の遠くなるような時間を男は勾留された。いわゆる人質司法の暗がりで、逮捕当初から黙秘を貫き、犯行の重要部分や特に関係者の名前について一切の口を閉ざし続けてきた。しかし、保釈後のこの日、男の口から樋口拓也という名が発せられる。沈黙のダムは突如として決壊した。

左陪席の裁判官が静かに、しかし鋭く男の心理の深部を突く。

「今日、法廷で、報復のリスクを感じながらも、樋口さんや福井さんの話をされた理由は、何ですか」

男は、自分が話をすることで報復される恐れを感じていたと”吐露”したうえで、証拠開示の範囲内で話してもよいと弁護士に背中を押され、勇気を出して事実を語る決意をしたと答えた。その声には、”巨大な暴力組織の末端に組み込まれた者”の、張り詰めた恐れが言葉尻にまとわりついている。

審理の冒頭、弁護人による要旨告知で提示された証拠は、特殊詐欺の公判としては異例の構成を呈した。最初に示された弁第1号証は、男の帰りを待ち続けている婚約者(フィアンセ)による陳述書である。いかに男を支え、二度と犯罪に手を染めさせないかという私的な誓いがそこに綴られている。さらに特筆すべきは、弁護側の請求で採用された6つの証拠のうち、実に4つが医師の診断書で占められていたことだ。長期間の勾留の影響による頚椎症、うつ病、神経症。首の神経を病み、精神の均衡を崩すほどの“プレッシャー”の中で、男は“沈黙を強いられていた”のだ。

だが、“病魔”に侵され、フィアンセとの甘やかな生活を奪われてまで守ろうとした《偉い人》からの頼まれごととは、一体何だったのか。男は法廷で暗号資産の仕組みも知らず、受け取る現金が犯罪収益であるという明確な認識もなかったと抗弁する。ただひたすらに、逆らうと暴力を振るわれるかもしれないという漠然とした恐れと、格闘技興行関係の事業を担っていた勤務先の上司からの《手伝ってあげて》というぼんやりとした指示に従属し続けたと述べる。

鉄紺のスーツに身を包んだ男の行儀の良さと、彼が運搬した3千万円、5千万円、1億5千万円他という途方もない現金。そして、彼が抱えるうつ病とする診断書。男の証言は、ルフィという組織図に、血肉と、そして底知れぬ人間の愚かさを注ぎ込んでいくことになる。

「偉い人」と「手伝い」の矛盾ー格闘技マネジメントの業務と現金の運搬

被告である相田栄幸の日常は、血と汗が飛び交う熱狂の裏方として飛び回っていた。格闘技関連のマネジメント会社に籍を置き、ファンクラブの運営やグッズ販売、チケット手配を担う。月収は40万円。東京都品川区でフィアンセと二人で暮らす、一見すれば平穏で満ち足りた若者の肖像である。だが、そのうわべの裏側に、真っ黒な現金の奔流に引き込まれていた。

相田の証言によれば、運命の分岐点は2022年の2月から3月頃にさかのぼる。会社の同僚であり《上司》にあたる人物との食事の席に、樋口拓也は姿を現した。あいさつを交わした程度の初対面であったが、上司と親しげに振る舞うその姿から、男は樋口を《偉い方》であると直感する。そして数週間後、上司から放たれた言葉が、男を底なしの沼へと引きずる免罪符となった。

「樋口さんの手伝いをしてあげてほしい」

「頼まれごとをしてあげてほしい」

この《手伝い》という日常的で些細な言葉を、男は法廷で執拗なまでに述べた。当初の依頼は車の運転であったが、やがてその内容は現金の受け取りへと変わっていく。指示された場所へ赴き、100万円単位の札束の数を数え、樋口の自宅へ運ぶ。その背後にある暗号資産のロンダリングの仕組みも知らなければ、それが詐欺の被害金であるという明確な認識もなかったと男は述べる。ただ、相手が《偉い方》であり、立場的に断ることができないという“従属”だけがそこにあったと主張するのだ。

しかし、法廷の男の弁明は、その行動の重みと矛盾している。数千万円、時に1億5千万円を超える生々しい現金を前にして、男は“報酬はもらっていない”と無欲をアピールした。本来の業務ではない《手伝い》であるから不満もなかったと。だが、検察官の反対尋問は、そのボランティア精神という薄皮を剥ぎ取っていく。

検察官は、男が樋口の依頼で動いた際のガソリン代や駐車料金、さらには共犯者であるSの経費までをまとめ、樋口に対して精算申請を行っていた事実を突きつけた。無償の奉仕と言い張りながら、実費の回収には事務的に立ち回る姿がそこにあった。さらに検察官は、令和5年6月9日にSを通じて樋口から50万円を受け取ったテレグラムのメッセージ記録を突きつける。

完全無報酬という男の抗弁が根元から揺らぐ瞬間である。証拠を突きつけられた男は、とっさに“私を経由して、誰かに渡すこともあったので、細かいことは思い出せませんが…”と、自らへの報酬ではなく経由地点であったと論点をすり替えた。莫大な現金を何度も運び、経費を細かく申請する一方で、自らの懐に入る50万円の記憶だけがすっぽりと抜け落ちているという空白。

左陪席の裁判官がその空洞を覗き込むように問う。3年間も頼まれごとを断らずに続けてきたのはなぜか。男は、罪への危険の認識の低さを認めたうえで、ふたたび《偉い人》という言葉を持ち出す。さらには“樋口さんの関係の人が、暴力を振るわれるようなのを見たことがあった”と、組織の恐怖支配を匂わせる。だが、会社業務ではない個人的な頼み事に、恐怖だけで3年余りも従属し、本業の待機時間に車内で作業をしてまで樋口の用件を優先させるだろうか。

格闘技マネジメントという華やかな業務の下で、男は《手伝い》という大義名分にすがりつき、組織の金庫番としての役割を忠実にこなしていた。純粋な恐怖や無知だけでは全く説明のつかない、力へのすり寄りと麻痺した行動が横たわっている。《偉い人》からの頼み事という魔法は、男の思考を停止させる。札束の匂いを消し去る抗弁として男の言葉は法廷の壁にぶつかっている。

池袋の1億5千万円の受領と中国人の影ー逮捕報道の隙間からこぼれ落ちるマネロンの告白

 昨年の逮捕報道が示した事件の構図は、どこかシステマティックな印象を与えていた。福井かおりが特殊詐欺の被害金を暗号資産に換え、セーシェル共和国の取引所などを経由して再度現金化し、それを相田が樋口拓也宅に運搬していたという概略である。捜査当局がサイバー空間の資金の流れを追跡し、11億円に上る被害金のロンダリングルートを解明したという筋書き。だが、本件公判廷で相田の口から語られた事実は、デジタルな暗号資産のイメージとは裏腹に、極めてアナログで、暴力的なまでに生々しい現金の束に満ちていた。

相田が資金洗浄のキーマンである福井かおりと初めて接触したのは、樋口の運転手を務めていた時のことだ。指定された目的地で福井が後部座席に乗り込んでくる。車内で樋口がスマホを操作して暗号資産を送金し、福井から現金の束を受け取る。相田は運転席からその光景を眺めていた。やがて樋口が多忙になると、相田は単独で福井と落ち合うようになる。毎回変わる指定場所。受け取る金額は1000万円から5000万円。相田は“暗号資産の仕組みなど理解していなかった”と述べるが、目の前で動く現金の額には“驚いた”と率直な感情を漏らしている。

そして、事態はさらに闇の様相を帯びる。令和6年1月から2月にかけて、相田は樋口の指示で池袋のビルへ向かった。当時、樋口は韓国に滞在しており、テレグラムを通じて相田に遠隔で指示を出していた。指定されたビルの部屋の扉を開けると、そこには中国人がおり、テーブルの前には現金が詰め込まれた袋が置かれていた。3000万円、5000万円。そして最大で1億5000万円。

あいさつを交わすのみで、相手の名前も知らない。ただ目の前にある規格外の現金を回収する。その異様な場所には、中国人だけでなく“A”と呼ばれる日本人の男が同席していた。相田はAについて“樋口さんが依頼した暗号資産を現金に換えてくれる人”と認識していたと証言する。格闘技興行の裏側で交錯する某市のローカルな人脈から、池袋の雑居ビルに潜む多国籍な地下経済のプレイヤーたちへ。相田という末端の運び屋の視点を通じて、逮捕報道ではうかがい知れない巨大な闇の生態が法廷に現出した。

1億5000万円という現金は、物理的な重量にして約15キログラムに達する。紙幣の束がもつインクと手垢の匂い、ずっしりとした重み。相田はその膨大な現金の塊を抱え、池袋から東京駅の駐車スペースへと向かった。そこで樋口からテレグラムで伝えられた身体的特徴だけを頼りに、見ず知らずの《誰か》にその1億5000万円を引き渡したのだ。

「グレーなお金かもしれないという違和感を持っていましたので、負担に感じていました」

相田は弁護人の尋問に対し、税金を逃れる脱税の類だと思っていたとふんわり抗弁し、詐欺で奪われた金が混じっている認識はなかったと繰り返した。しかし、韓国からの秘匿通信アプリによる指示、中国人が用意した1億5000万円の現ナマ、そして東京駅の駐車場での名もなき人物への巨額の引き渡し。これほどまでに異常な現場が連続する中で、詐欺被害金への想像が働かなかったという主張は、自らの罪と向き合うことを拒絶する《抗弁》にほかならない。

デジタルで洗浄されたはずの資金は、最終的に人の手と肉を必要とする。格闘技マネジメントという表の顔を持つ相田の屈強な肉体は、この重すぎる現金を運搬するための最も都合の良い《インフラ》として消費されている。

福祉業の実父が語る「人材育成」の誓いー闇と決別できるか

白髪が混じる62歳の大柄な男性が、法廷のバーを越えて証言台の前に立った。被告人・相田栄幸の実父である。実家で福祉事業を経営し、数十人の職員を抱えるというこの父親が歩み出たとき、被告席の男は目を細め、悲嘆に暮れるような表情を作った。長きにわたる黙秘の代償として、法廷に身内を引きずり出した罪悪感か、あるいはこれから示される《家族劇》への没入か。

本件情状尋問において、父親は息子の犯行の原因をシンプルに定義した。

「やはり、そういった犯罪組織に関係する人物と、関係を持ったことです」

「強い気持ちを持って、断ることができなかったということです」

父親の認識において、地元で野球に打ち込んでいた頃の人間関係は無害であり、郷里から上京した後に作られたネットワークこそが悪であるという。すなわち、“東京の、今付き合っている者が、すべて悪い関係である”と。犯罪に加担したのはあくまでも外からの悪意ある接触と、それをはね除けられなかった息子の対人関係の《弱さ》に原因を求めた。

しかし、保釈後の息子との対話を振り返る父親の口から、法廷の前提を揺るがす致命的な矛盾がこぼれた。弁護人に息子の言葉を問われた父親はこう答えた。

「仕事の関係で知り合った人物より、指示を受けて、現金の受け渡しを行ってしまった、ということです」

この証言は、相田本人が法廷で展開した抗弁と真っ向から衝突する。相田は、樋口からの依頼は会社業務ではなく、偉い人からの個人的な頼み事であり、本来の仕事ではないからこそ無報酬であったと主張している。だが、身内である父親に対しては“仕事の関係で知り合った人物からの指示”と説明し、業務上の抗いがたい命令であったかのように装っている。尋問の相手や状況に合わせ、責任の所在を“仕事”や“偉い人の威光”へと都合よくスライドさせる男の逃げが、父親の庇護によって皮肉にも暴かれた。

さらに、福祉畑を長年歩んできた父親の口から紡がれる結びの言葉は、法廷に奇妙な違和感を示す。

「今まで以上に厳しい親として管理を行い、息子に社会に貢献できる人間育成、人材育成を図っていきたいと思っております」

《人材育成》。福祉や企業経営の現場で使い古されたこの文言は、1億5千万円の犯罪収益を平然と運び、3年余りも闇組織の末端として従事した33歳の男の犯行を前にして、あまりにも空虚であった。父親は我が子を、巨大な罪を主体的に選択した大人としてではなく、管理と再教育プログラムを施すべき“人材”として処遇しようとしている。実家での監視という更生計画の中に、血生臭い詐欺被害の実情と、自らの意思で歩み寄った男の欲の影はすっぽりとなくなっている。

そして、相田の“他者依存”は、被害者への示談交渉という土壇場でも露呈する。

相田は弁護士に約1600万円を預け、被害弁済の準備を進めているという。だが、その巨額の資金の出所について右陪席の裁判官に問われると、こう答えた。

「以前からお世話になっている、会社経営をされている知人の方が、貸し付けてくれました」

ここもまた《会社経営をしている知人》という、力と金を持つ第三者である。自らの罪を清算するための原資すら、自らの手で築いたものではなく、ローカルな《上の人間》に依存しているのだ。法廷では健全な人間関係をつくり、“悪い関係”を一切断つと誓う。しかし、彼を根底で救済しているのは、かつて樋口の依頼を断れなかったのと同根の多額の資金援助である。この力と金への依存を断ち切らない限り、福祉の父が語る《人材育成》は、法廷のうわべをなでるだけのポエムに終わる。

陪席裁判官が突いた「本業」

審理の最終盤、法廷で示された矛盾を打ち砕いたのは、裁判官による実務的な一突きであった。相田が陳述した“偉い人への無償の奉仕”という抗弁は、裁判官からのある補充尋問によって、その内側の空っぽを露呈することになる。

「本来の、格闘技マネジメントの仕事との両立は、どうしていましたか」

この問いに対する相田の答えは、本件における最大の矛盾であり、同時に真実の所在を示すものであった。

「待機している時間に、車内で自分の仕事をしていました。本来の仕事よりも、樋口さんの用件を優先していました。上司からも《手伝ってあげて》と言われていましたので。本当にダメな時以外は、すべて引き受けていました」

月収40万円を保証するはずの格闘技マネジメントという《本業》。男はその正規の業務を、暗号資産を現金化する現場の待機時間、すなわち車内の片手間で処理していたと悪びれずに白状する。無報酬であると強弁し続けた《手伝い》を何よりも優先し、自らの生活の基礎であるはずの業務を後回しにする。資本主義の原理からいえば破綻した行動こそが、相田が没入していたローカルな真のヒエラルキーを雄弁に物語っている。

彼にとっての《本業》とは、暴力と莫大な資金を背景に持つ組織への従属そのものではないか。勤務先の上司が放った《手伝ってあげて》という言葉は、業務外の気まぐれなお願いではない。ある特定の地域で交錯する興行ネットワークと裏の資金源をつなぐ、命令系統の一部である。1億5千万円の現ナマを無報酬で運ぶという異常は、相田が善良ゆえに断れなかったから起きたのではない。彼が属する世界において、暗号資産を経由して流れ込む詐取金に触れること、そのインフラに己の肉体を提供することこそが、彼に与えられた最大の業務であったからに他ならない。

彼は、デジタル空間で国境を飛び越える特殊詐欺ネットワークにおいて、どうしても必要となるアナログな《道具》であった。セーシェル共和国を経由し、秘匿された資金洗浄システムも、最後は15キログラムの紙幣の束を抱えて東京駅の駐車場を歩く、従順な運び屋を必要とする。相田は、社会制度の隙間を素通りする巨大犯罪が実体化するための、ハブであった。

鉄紺のスーツ姿の男は、示談金1600万円の借入先である《会社経営をしている知人》の庇護と、実父が宣言した《人材育成》という、二つの網の目に包まれたまま、次回の論告求刑へと向かう。自らの言葉で真の欲を語ることを放棄し、指示役とする男の名前を上げ、“判断力が甘かった”と定型句をなぞる男の背中に、広域強盗へと還流したとされる被害金の重い呪縛と、法廷のぼんやりした照明が突き刺さっている。

文/吉田朔三 内外タイムス

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