歴史的価値を再認識 市教委 文化財通し自然災害学ぶ 巡見ツアー実施で深い知識
市教育委員会は21日、市歴史文化資料館事業「自然災害と文化財巡見」を実施した。市内の文化財を巡見するツアーで市教委生涯学習課文化財担当の久貝弥嗣さんがバスの中や各処で文化財が持つ歴史的価値や自然災害への教訓を参加者に強く伝えた。詳細や説明を通じ、参加者らは自然災害と文化財の関係を深く理解するための貴重な機会となり、その重要性を再認識した。
この巡見ツアーは2024年度第1回地域の特色ある埋蔵文化財公開活用の同事業に伴うもので、市歴史文化資料館(旧砂川中)で開催中の「自然災害と文化財」展に合わせ、実際に文化財を目にして学んだ。約20人の参加者は蒸し暑い中、熱心にメモを取り、写真を撮りながら、自然災害への脅威について語り合った。
市役所で集合し午前9時半に出発し①「乾隆三十六年大波」碑②好善ミガガマ御嶽③上比屋山④宮古島市歴史文化資料館で昼食⑤嶺問御嶽⑥友利元島遺跡(車中)⑦マイバー(車中)⑧東平安名崎⑨佐事川嶺凝灰岩層と断層―の各所を巡見した。
「乾隆三十六年大波」碑は、1771年に発生した石垣島南東沖の海底を震源地とする大地震(推定マグニチュード7・4)のあとに襲ってきた「明和の大津波」の犠牲者を弔うために建立された県内唯一の石碑。
与那覇前浜後方の丘陵地(通称・前山)内に高さ64㌢、幅29㌢、厚さ14㌢でサンゴ石灰岩を加工した石碑だ。碑文の右側には「乾隆三十六年三月十日大波」、中央に「宮国新里砂川友利」と記された文字が判読できる。
「球陽」等の資料によれば宮古では地震後、続けざまに3度津波に襲われ、波の高さは12~13丈(約36~39㍍)、3丈5尺(約10・7㍍)、2丈5尺(約7・7㍍)にも達したとされ、宮古での被害は多良間、水納を含む12カ村に及び、2548人の死者を出したと記録されている。
特に被害が甚大であった宮国、新里、砂川、友利の犠牲者の多くが与那覇前浜に流れ着いたとされ、その遺体は前山に合葬されたと伝わる。
参加者の中には、巡見を通じて宮古島の歴史や文化について新たな知識を得たと感じる人も多く、60代の女性は「宮古島の知らないことが多く、歴史を学べた。参加して良かった」、男性の一人からは「この前山のガジュマルの木の下に碑があった。もう一つ二又の大きなガジュマルの木が目印だったが今はない」と話していた。