「市民にとって深い財産」 宮古の新聞史について学ぶ 市立図書館、パネル展最終日で
今月14日から市立図書館で始まった「宮古の新聞展」が19日に最終日を迎えた。午後1時から始まったトークショーでは、2人のパネラーや現存する宮古の記者から宮古の新聞史が語られた。会場に用意した席では足りず、立ち見が出るほどの聴講者が集い新聞史から垣間見える宮古の歴史に真剣な表情で聞き入っていた。
パネラーには宮古郷土史研究会の仲宗根將二顧問とNansei創始者の砂川哲男さん(で現相談役)が迎えられ、進行役はNansei常務の稲嶺幸弘さん(元沖縄タイムス社宮古支局長)が務めた。
稲嶺さんは仲宗根顧問について、1957年10月1日付で宮古毎日新聞社に入社し、記者を2年務め、その時に新聞のいろはを学んだことをきっかけに、平良市史編さん委員会発行の平良市史第5巻資料編3『戦後新聞集成』でまとめ上げたが、そこでも解明されていないことも未だに多いことなどを紹介した。
仲宗根顧問は「戦後、琉球政府が設置されるまでの間に宮古にこれだけの新聞ができたのは恐らく戦時中に政府発表のみの言論統制があり、言いたいことが言えなかった戦前から戦後の民主主義という新しい時代の『言いたいことを言い、書くべきことを書くんだ』という言論の自由からだと思われる」と述べた。
その上で「戦後最初に出たみやこ新報(弊紙とは異なる)の創刊号のあいさつ文を読むとその当時の新聞制作者たちの新しい時代を迎えようとする気概や思いがよく分かる」と訴えた。
また、砂川さんは82年の会社設立時に当時現存した新聞紙をマイクロフィルム化したいきさつなどを話し、「当事者である新聞社でさえ大事に残していなかった」と危機感から写真化することを決めたという。
また、企画した新聞記者は「このNansei社に22社の新聞紙面が残っていることを知り、これは宮古島市民にとって当時の生活や市史を知る上で深い財産になると思い、ぜひ公開して皆さんに知ってほしかった」と語った。
同パネル展は宮古新報社、宮古毎日新聞社、Nanseiが共催し、市教育委員会、宮古テレビが後援することで実現に至った。
会場には現存する2紙を含めた戦後に発行された22紙のパネルが展示され、複製本も設置されていた。