「八月踊り」仲筋の正日で踊りの口上を述べる福禄寿 =多良間村仲筋、土原御願所

島の誇りと伝統つなぐ 多良間島「八月踊り」

 【多良間】旧暦8月8日の22日、多良間島の伝統行事「八月踊り」が字仲筋の「正日」で幕を開けた。新型コロナのため4年ぶりの通常開催となり、会場となった土原御願所は住民をはじめ島外からの観客が大勢訪れた。舞台では豊年を願って民俗踊りや組踊、獅子舞などが奉納され、先人から受け継がれてきた島が誇る伝統の行事をつないだ。きょう23日はピトゥマタ御願所で字塩川の「正日」、最終日24日は両字で「ワカレ」が行われる。
 字仲筋の「正日」が午前10時ごろから始まり、地謡座の三線が鳴り響く中、獅子舞が荒々しく会場を払い清めた。この日の出演者全員が舞台に登場する総引きに続き、婦人会が民俗踊りのキネツキを多良間世に合わせて踊り、若者2人が絶叫とともに激しく棒で打ち合う棒踊りを披露。福禄寿は一座を率いて世の太平と国の繁栄を喜びながら踊りの口上を述べ、若衆踊りや女踊り、二才踊りが行われた。狂言では字仲筋だけの演目「リンキ」が行われ、浮気した農夫を妻がこらしめる方言の寸劇が会場の笑いを誘った。
 あいさつに立った仲筋字会の森山実夫会長は「新型コロナで3年間、村民の心のより所である八月踊りを通常開催できず、生活の活力にも影響があった。3年間地道に稽古を重ね、多くの皆さんを招いて開催できることを喜んでいる。この誇り高い文化を守り、育んできた先人に感謝し、次の世代に継承発展させたい」と決意を述べた。
 端踊座の一員として出演する子どもたちの衣装の着付けを行っていた伊良皆光夫村長は「端踊りは低学年で始めて高学年につないでいくが、3年間それがなかった。みんなが集中して練習を頑張ってきょうを迎えられた。出演者も村民も待ちかねていたと思う。晴れやかな気持ちで八月踊りを迎えている」と話した。
 八月踊りの起源は定かではないが琉球王府による人頭税の時代、旧暦7月に税を皆納して翌8月には「八月御願」として、各御嶽で完納報告と来年の豊作を祈願した祝い事の際の踊りが、いつの頃からか奉納踊りとして土原、ピトゥマタの御願所で行われるようになったと考えられている。はじめの頃は民俗踊りのみだったが、明治の初期から中期になって古典踊りや組踊が沖縄本島から伝わってきたという。

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