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戦争起こさないために きょう「慰霊の日」 小・中学校で平和学習

 きょう23日の「慰霊の日」に向け、市内の各小・中学校では平和学習会が行われた。児童生徒たちは戦争体験者による講話、沖縄や宮古で起きた戦争の歴史などの学習を通して、改めて戦争の恐ろしさや悲惨さ、当時の人たちの苦しい生活を学びながら平和な世の中を築き、2度と戦争を起こさないためには何が必要なのか考えた。

●上野中

 上野中学校(砂川泰範校長)は22日、沖縄「平和の礎」を読み上げる集いにオンラインで参加。同校では今回初めて行われ、全校生徒115人が宮古島市出身の刻銘者2500人の名前を読み上げた。
 平和の礎には沖縄戦をはじめ太平洋戦争などで犠牲になった24万人余の名前が刻銘されている。この集いは年々戦争体験者の声を聞く機会が減るなか、戦争を知らない世代に戦没者に想いを馳せ、悲惨な戦争の実態と向き合い、平和の尊さについて学ぶ場にしようと実施されている。
 同校では午前9時から多目的室で行われ、3年生が上野出身の刻銘者から名前と享年を読み上げた。生徒たちは交代しながら、リレー方式で3年生が1050人、2年生が588人、1年生が862人を読み上げた。名簿には亡くなった場所も掲載されており、沖縄だけでなく中国やビルマ(現・ミャンマー)、南方の島々などが記されていた。
 最初に読み上げた野口空良さんは「緊張したがうまく読むことができた。一人一人の名前に心を込めて読むことを心掛けた。小さい子どもも亡くなっていて悲しい気持ちになった。戦争を起こしてはいけないと思った」と感想を話した。
 砂川校長は「これまで戦争体験の講話が中心だったが、名前を読み上げることで違った視点から考えることができると思う。これだけ多くの戦没者が宮古にいて年齢も幅広く、なぜこの場所で亡くなったのか考えるきっかけになれば」と話していた。

●鏡原中

 23日の「慰霊の日」を前に、鏡原中学校(濱川成共校長)で21日、平和集会が開かれた。外部講師を招いて宮古島での太平洋戦争の推移などを学び、生徒らは平和の尊さについて思いを新たにした。
 外部講師は、市総合博物館の湯屋秀捷さんが務めた。湯屋さんは、同博物館で見ることができる戦争記録や遺物などを紹介し、宮古島での戦争の経過について説明した。
 湯屋さんによると、戦争当時の宮古島の人口は約6万人。1944年からは日本軍約3万人が宮古島に配属されたが、食料不足や劣悪な生活環境で市民、軍人問わず多くの人が亡くなったという。
 湯屋さんは「第2次大戦終了後も、世界から戦争はなくなっていない。今日の話で過去の歴史を学び、間違った判断や政治を繰り返さないための第一歩にしてほしい」と話した。
 生徒代表の奥平美子さんは、「宮古島にも(戦争遺構が)あることなどを知り、他人事ではないと感じた」と感想を述べた。

生徒らは宮古島にある戦争遺構などについての講話を熱心に聞いた=21日、鏡原中学校

●下地中

 下地中学校(狩俣典昭校長)は21日、平和学習に関する講話を同校で行った。プラネット・フォー代表の中村良三さんが講師を務め、全校生徒を対象に宮古島で起こった戦争の悲惨さや平和の大切さについて伝え、「自分がそうなったらどうするか考えてほしい」と語った。
 当時宮古島の人口は約6万人。水が少なく、干ばつになるとすぐに飢えてしまう場所に兵隊が約3万人にやってきた。そのため宮古島の戦争は、戦死よりも栄養失調、マラリアでの病死が多かった。また、終戦後もそれが長く続いたことが特徴だと伝えた。
 そのほかにも、衛生兵として宮古島に駐留していた詩人の歌「犬、猫、みな食いつくし熱帯魚に極限の命つなぎたる島」などを紹介して当時の様子を説明し、焼け野原になった平良市の写真を見せた。中村さんは「戦争が来たらこうなる。絶対に戦争にならないようにした方がいいよね」と生徒に問いかけた。
 2年生の砂川春樹さんは「戦争の時、島ではとても大変な状況だったと分かった。平和についてこれからも考えながら、守っていきたい」、上地丞さんは「知らなかったことがたくさんあったから、自分でも調べてみたいと思った」とそれぞれ感想を述べた。
 中村さんは大阪出身で2015年に仕事の関係で宮古島に移住。沖縄地上戦や宮古島での戦争について知り、学校などで講話を行っている。

戦争の悲惨さを学んだ生徒ら=21日、下地中学校

●西辺中

 西辺中学校(友利和弘校長)で22日、全校生徒39人が参加する平和学習会が行われた。23日の「慰霊の日」を前に、宮古島内で見ることが出来る戦争遺構などを学習し、戦争と平和に対する理解を深めた。
 集会は、平和について考え平和への願いや命の尊さについて学ぶことなどが目的。市総合博物館の湯屋秀捷さんを講師に招き、宮古島に残された戦争の記録や遺跡などについて学んだ。
 湯屋さんは時折、生徒に質問を投げかけながら、「宮古島で地上戦は無かったが、1944年10月10日の『10・10空襲』以降に空襲が本格化した。沖縄戦が終わったあとも空襲が続き、島内の住宅などはほとんどがれきの山だったとみられる」と述べ、「平和を考えるため、しっかりと歴史を学んでほしい」と呼びかけた。
 生徒代表の花城慧地さんは、「初めて知ることがたくさんあった。沖縄戦終了後も宮古に空襲があったことに驚いた」と話した。

生徒らは宮古島での戦争の様子を知り、平和への思いを新たにした=西辺中学校

●鏡原小

 鏡原小学校(花城修校長)の平和集会が21日、同校体育館で行われ、宮古島出身で元教諭の宮沢貞子さん(本島在住)が沖縄戦の体験を語った。宮沢さんは当時の宮古島や本島の様子を振り返りながら、児童たちに「絶対に戦争をしてはいけない」と述べた。
 宮沢さんは米軍による攻撃で「西里通りは焼け野原となり、東の道路に立つと西の海岸や伊良部島まで見渡せるほどひどい被害だった」などと体験談を話し、小学4年の頃に終戦を迎え「正直ほっとした。戦争が終わって良かったと思った」という。
 その上で「小学生から平和な世の中をつくることを考えてほしい。絶対に戦争をさせないでほしい」と呼び掛けた。
 花城校長は「戦争と平和について勉強する必要がある。『6月23日』は沖縄県だけが休み。その意味も含めてまずは知ることが大切」と話した。

平和集会で講話する宮沢さん=21日、鏡原小体育館

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