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島の彩り新報エッセー 島尻芳一さん

 






2019/05/14 09時03分配信 - 連載・企画::新報エッセー「島の彩」 -

 5月1日、 平成から 「令和」 に元号が改まった。 「令和」 の幕開けを厳粛な気持ちで迎えた。 同郷の大先輩、 新里金福氏 (1922~91) が思い浮かんだ。 戦時中、 近衛隊で活躍したからである。 上京して最初に訪ねた。 戦後、 早稲田大学に進学し西洋哲学科を首席で卒業。 共著に大城立裕氏、 琉球新報編の近代沖縄の歩み 「沖縄の百年」 全三巻がある。
続き
 私は、 生まれも育ちもパーントゥの里 (島尻地区) である。 大学進学で上京してから、 早や50年の歳月が流れようとしている。 「歳月人を待たず」 の心境の今日この頃である。
 さて、 「パーントゥの里」 のパーントゥは2018年に 「宮古島のパーントゥ」 としてユネスコの無形文化遺産に登録され世界的評価を得た。 登録を私は厳粛な気持ちで受け止めた。 登録の世界的評価は、 反面評価に応える責任もあるからだ。 パーントゥは、 300年以上の歴史が連綿と続く伝統が継承されている。 戦後の 「パーントゥの里」 の記録が確認できる範囲で、 歴史を俯瞰 (全体像) してみたいと思う。
 パーントゥの里の発祥地 (聖地) は、 現集落の北端三方海に囲まれた岬に古来の渡来人が移住したと思われる元島である。 戦後まで6戸ほどの集落が岬の台地、 約200㍍四方の狭い地域にがれきの家が軒を連ねていた。 ここがパーントゥの里の発祥地 (聖地)である。 パーントゥの仮面は、 この岬のクバマ (小浜)にクバ (ビロウ) の葉に包まれた一体の仮面が漂着した。 漂着した仮面を使い厄払いをしたところ集落は天災等の被害に遭わずに平穏に暮らしができたという。 発祥地の集落入り口には、 立派な石造りアーチがあった。 出入り検問の役割もあったろう。 元島の表層からは青磁器や南蛮焼き等の破片が採取されている。
 この元島から現集落の高台へと集落は発展している。 現集落を上空から俯瞰するとペルーの 「ナスカの地上絵」 を彷彿させる。 現島尻集落は、 元島を扇の要 (かなめ) に左右に広げた一辺の長さが約1200㍍の幻想的な扇形で集落が形成されている。 多分、 宮古島外から様々な人々が元島を足掛かりに移住して、 段々と高台の現集落を形成した開拓集落だろうと思う。 地元の人々の気質は実におおらかで開放的なのだ。
 ところで、 昭和50年代から始まった 「農業農村整備事業」の成功で「農村整備モデル地区」として島尻地区は全国的に知れるようになった。「パーントゥ行事」 は、 国に指定された文化財 「パーントゥ」 に関連付けられた地域おこしの動きで高まり再活性化が進んだ。 また、 82年「重要文化民族文化財」、93年「国指定無形民俗文化財」 として文化庁にその価値が認められ 「お墨付き」 をもらった。
 島尻購買店は、 販売、 購買機能と同時に村落機能、 財政、 福利厚生、 教育、 情報等に深く関わる共同体(コミュニティ)なのである。島尻のパーントゥは、「厳しいタブーや年齢階梯(かいてい)に拘らない、 おおらかで開放的な男性中心の祭祀組織といえる。「無形文化遺産」 登録で共通していることは激しい過疎化で、 どう伝統継承するのか厳しい現実がある。 今や、 パーントゥは 「集落統合のシンボル」 でもある。 ユネスコ委員会は登録を 「アイデンティティー形成と地域社会の帰属意識を深める」 と評価している。

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